OH/SEKSUN PARNPRATEEP(オー/セークサン パーンプラティープ) |
誕生日:1974年5月23日 学歴:Musicial Institution America 卒業 好きなアーティスト:Silly Fools, Sarah Mclachlan,Brian Mcnight キャリア:バンコク・クリスチャン病院バンドに参加 Geronima(インディーズのバンド)を結成 ハリウッドのパブクルアン・テート(香辛料)に4年レギュラー出演 アメリカの音楽学校「Mantra Music School」にてエレキ・ギターの講師を務める スタジオ「Mantra Studio」にて、サウンド・エンジニアとして勤務 ロス・アンジェルスのThai Food Festivalで、Mantraバンドを結成 The Rainのギタリスト、ボーカリストとして、バンコクの多くのパブに出演 好きなスポーツ:スノーボード、バトミントン |
所属レーベル:GIRAFFE RECORDS |
「オー」は肌の色が濃くて、体の小さな男性だ。デビュー・アルバムには、簡単で短いアルバム・タイトル『Oh』を使った。全曲の歌詞、メロディー、ギター演奏を自身でおこなった。そして、co-producerとしても参加した。10才のときから、兄の弾くギターに興味を覚えて、音楽の道を歩み始めた。それから一生懸命にギターを練習し、14歳になると理論と実践の両方の側で音楽学校へ行くことができた。そして、よく友達とジャム・セッションをする機会を探った。 音楽的な向上を目指して、彼はアメリカに音楽のさらなるステップを勉強し留学した。毎日を音楽の勉強と演奏に費やし、そこでキャリアを積み、6年間を過ごした。プロとして音楽を演奏するためにタイに戻ってきて、楽曲を書きため、デモをつくった。すべての楽曲を、GIRAFFE RECORDSのチャイ・ソムチャイ・カムラートクンに提出した。オーのデビュー・アルバムは、こうして生まれた。 このアルバム内の楽曲のすばらしさは、乗りやすいリズムで気持ちよく聞けることだ。歌詞は甘く軽やかで加減のいいラブ・ソングだ。また、歌声は珍しく、他とは異なるものだ。「チャイ・ハイ・パイ」は、早速ヒット曲となったが、多くの人が、女性の声ではないのか、と疑った。何故なら、オーはファルセットの技術を使ったからだ。ほとんどの曲が女性の声のキーだった。 アレンジはわかりやすいが、魅力的で、サウンドはPOP、ROCK、R&B、サンバ、FUNK、あるいはボサノヴァなどの多くの様式のアコースティックだった。生の音楽にこだわり、ほぼ80%は生楽器でレコーディングした。3年以上の作業時間を使い、GROOVE RIDERSのコー(ベイシスト)、マートン(ドラムス)のような、腕利きのミュージシャンを起用した。 2003年の末発売されたセカンド・アルバム『YES』はポップ・ヴァラエティなスタイルの作品だ。「タロ(けんか)」のようなR&Bに、アイリッシュ・ロックの「ターム・ターング・ファン(夢を追って)」のような楽曲がミックスされた。そして、アイリッシュ・ミュージシャン、JOHN MURPHYを向かえ、アイリッシュの笛を演奏した。また、日本の男性ミュージシャンTETSUYA KAMOKAWAは、アイリッシュ、ジャズ、ラップ風のバイオリンを、「マイ・ターング・カン」の中で演奏した。そして、残りの部分で大きな役割を果たしたのはアカペラで、「プレーン・コーン・ノーン」の中では、オーは5声をすべて一人でコーラスしている。 このアルバムは、前回のプロデューサー“モームティット”モー・ロー・トンチャート・プラウィットと二人で一緒に仕事をした。そしてオーはなお、歌詞を書き、すべてのメロディーを作った。 |