MOS/PATIPARN PATAWEEKARN(モス・パティパーン パタウィーカーン) |
誕生日:1973年3月23日 |
所属レーベル:GREEN BEANS |
“モス”パティパーン・パタウィーカーン (Patiparn
Pataweekarn)は、さわやかなで、健康的で、壮快な青年だ。近くにいる誰もを楽しくさせて、悪ふざけする。クラスのプロ歌手としての地位を築く前に、彼は映画やTVドラマの芝居で、才覚を表した。どんな仕事にも負けることなく、能力を発揮して、タイのフロント・ラインでNo.1の歌手となった。ティーン・エイジャーのスーパースターで、長い時間かけずに、最高の成功を得た。この青年の並ではない能力は保証されている。 芸能界で“モス”は、演劇と歌謡の両方の仕事をしてきた。溢れる才能でその両面でモスは成功を収めてきた。この青年の最初の第一歩は、1989年に雑誌のモデルとしてだった。モスは、ポット・アーノン(雑誌「あなたと私」の編集長)の誘いで芸能界に入った。 1989年に、“キン”ソムチング・シリスパープによる最初の映画「クリング・ワイ・ゴーン・ポー・ソーン(父が教える前にすらすらといく)」に出演する。この作品から成功を収め、モスはすぐに有名スターとして歩むとこになった。彼の能力と才能、さらに愛らしさとさわやかさは相まって、モスに休む間もなく、仕事をもたらした。そして、すべての仕事はよい成功ばかりを収めた。モスという名前は興味深いものとなり、多くの人の関心を呼んだ。モデルとしての撮影、TVドラマの演技、映画の出演と多くの仕事をこなしてきたにもかかわらず、モスは、学業も捨てることなく続けた。 休むことなくモデルと演劇の仕事を続けて、次にモスはもう1つの役割、歌手として大成功する道を歩み始めた。1991年、デビュー・アルバム『ウー・フー』の楽曲は、等身大でさわやかなティーン・エイジャーの個性的な姿を、モス自身らしい楽観的で、楽しいリズムとアクションの歌詞を通じて描き出した。 2年後、モスは2枚目のアルバム『ミスター・モス・マイ・ラックノマイ・ダイ・レオ』をリリースた。このアルバムで、彼はイメージである青年らしさを損なわなず、歌手としての才能を証明してみせた。特に、彼の歌い手としての発展は、より増した。音楽はかっこよく、彼自身、新しい世代のより大きな世界観をもつティーン・エイジャーの代弁者だった。彼は、「ばかげた歌」、「汚い、そして好きじゃないノバカ」など、多種のすばらしい歌を歌った。これらは、すべてのラジオ局から、鳴り響いた。 1995年、引き続き休むことなき青年のサード・アルバム『MOVING MOS』は、誰もがめを離せない活動がともなった。テーマは、勢いよく世界に歩みだす準備をする新世代だ。「フア・ジャイ・ラット・ファー(心は空を行く)」「トゥック・ユー・レーオ(ぴったりはまった)」「クラップ・クローク(前言に背く)」などの曲は、ヒット気流にのって上昇した。3作連続しての成功から、モスは大いに知らしめられ、尋常ではない成功を収めた。 モスのサクセス・ストリーは、さらに続く。6人のティーン・エイジャー・アーティストの1人として、ホットでさわやかな新人歌手に選ばれ、アルバム『6.2.12』に参加した。 スペシャル・アルバム『MOS&TATA』を、1997年、リリースした。これは、モスが、初めてタター・ヤンと仕事をした作品で、デュオとして能力を発揮した。彼らは、ティーンの最も知られたアイドル・カップルとなり、爆発的な人気を得た。新世代の原型となった存在感は、大胆に演じて、深い感銘を与える歌を歌った。「ピヤン・プアン(ただの友達)」やその他の多くの歌は、心の琴線に触れる楽曲だ。 “モス”の特別な能力は、ステージ上でも発揮された。言うならば、モスは、すなわち、No.1の賞賛を与えられたティーン・エイジャーのエンターテイナーであり、さらに、楽しさ溢れるアルバム『モス・メオ・ムー(モス・猫)』を前作から1年経たずに、1997年にリリースした。このアルバムは、ROCK'N'ROLLのリズムで彩られ、ダンス・アクションは個性的だった。「ラック・レ・プラトゥー(愛と台地)」や「HALLO」などは、すばらしいダンス・アクションを伴った歌として、聞き手の記憶に残った。 1998年のアルバム『パティパーン・パーティ』は、彼が勉強のために外国へ渡航する前に、全力を傾倒したものだ。サウンドは流行のもので、ヴァラエティに富み、歌のテーマはモスのキャラクターと個性と年齢に従い、より成長した。 モスの過去の仕事の中にある意欲は、彼に多くの賞を受賞させた。それは、1994年の奨励委員会事務所及び国際少年少女ユニオン(SYC)からの、優秀少年少女歌手賞、1996年、急速な委員会からのダムロンチープの成功獲得するアーチワ学生賞と、少年少女および女性に関する問題改善追及賞、その他の多くの賞などだ。それらは大衆から受け取ったもので、すばらしいティーンのアーティストとしての存在を証明するものだった。 『パティパーン・パーティ』の後、1998年、モスはそれからほぼ4年間の時間を使い、仕事を休み、他のことをした。また、外国で興味のあるコースの勉強をした。たとえば、アメリカとオーストラリアで歌の勉強やグラフィックの勉強などだ。 2001年3月、モスは、復帰した。長くモスの作品を待っていたファンの歌声を従えて。今回、モスは、十分に大人の男性となり、男性の海賊ファッションで登場し、ファンを喜ばせた。長いタイトルのアルバムは、『MR.MOS HAPPY TRIP...海賊、ひっくり返る』だ。 2002年9月11日の最新アルバム『Special 11』は、モスの芸能生活11周年で、特別な11曲を収録した作品だ。モスのエンターテイナーとしての存在感は、強固なものだ。ほとんどの楽曲はアップテンポで、ダンス・ナンバーだ。楽しさを強調し、ヴァラエティーに富んだポップ・ダンスのジャンルの作品だ。楽しいサウンドは、エレクトロポップのにおいがして、気持ちよく聞けて、やさしく理解できるテーマを持っている。さらに、終了したばかりのTVドラマ「ジャオ・チャーイ・フア・ジャイ・クーン・ローイ(100以上の心の持ち主)」の主題歌「クーン・ローイ(100以上)」や「マイ・クイ・プリアン(変わったことはない)」は音楽ファンやドラマ・ファンをもう一度感銘させた。このアルバムは、楽しく、新鮮で面白く、モスの11周年の記念にふさわしい内容と呼ぶことができる。 |