-LANNA COMMINS(ランナー・カミンズ)-

LANNA COMMINS(ランナー・カミンズ)

LANNA COMMINS(ランナー・カミンズ)
本名:Lanna Commins
誕生日:1983年11月3日
出身地など:バンコクにて誕生、4、5歳のときにマレーシアに引越し、その後、2年をオーストラリアで過ごす。バンコクに戻るが、母とチェンマイに移り住み、現在に至る。
学歴:Chiang Mai International School 卒業
好きなアーティスト:Evanescense, Linkin Park, Alicia Keys
好きな言葉:”Be brave, be bold, be free” and “Follow your passion, the heart of what your soul desire”
趣味:乗馬、読書
プロフィール
今日のタイの音楽シーンは、新しい変革期にあると言えよう。興味深い新鮮なサウンドを持ったニュー・アーティストが続々と表舞台に登場しているのだ。
タイに限らずアジアのそれぞれの地域には、美しい固有の文化がある。特に、その魅力を兼ね備えた地区として、タイ北部が挙げられる。サロー(タイの胡弓)、ソー(竹の切り株を使用した胡弓)、スン(四弦の弦楽器)などの伝統楽器は、タイ人に限らず琴線に触れる音色を奏で、壮大な自然を連想させるものだ。これに、さらに北部の個性的な方言をMIXして、まったく新しい種のWORLD MUSICを創作している新人女性シンガーが、つい最近デビューした。人々が育ったその土地の独特の精神性を大切にして、大地の匂いを感じさせる。LANNA(ランナー)とは、そんなアーティストだ。

 ランナーは、タイ-オーストラリアのハーフの新人女性アーティストだ。母から受け継いだアジアの優しさと父親から学んだ西洋の現代的な視点と、その両方の視点を持つ。彼女はタイ北部の都市、チェンマイで育った。田舎ならではののんびりした環境で育ち、一方、世界を見つめる現代人の志向性を養った。バンコクの標準タイ語と流暢な英語の両方を使いこなすが、実際、日常生活では、チェンマイ弁で過ごしている。
 ランナーは、物心ついたときから歌うことが好きだったという。彼女の母親も歌手だった。(スントリー・ウェチャノン・・・チェンマイの歌手で、「サオ・チェンマイ(チェンマイの娘)」というヒット曲がある)ランナーは、子供のころからこの母が伯父さんであるチョラン・マノペットと一緒に歌っているのを聞いて育った。ランナーという名前は、この叔父が、チャンマイの地にあったかつての王国、「ランナー王国」より名づけたものだ。
 もう一人の叔父、フアンスントリー・ウェチャノンはタイの伝統楽器の音楽家で、キム(中華琴)やスン(四弦の弦楽器)を演奏し少女時代のランナーによく聴かせてくれた。彼女は、そういった楽器の音色を気に入り、実際彼から習った。彼女は特にキムの美しい音色とスンの粋な音色が好きだという。
 中学高校時代は、趣味の乗馬とマウンテン・バイクに時間を費やした。また、ダンスと演劇のスタジオに通い、ミュージカル“EVITA”の舞台にEVITA役として立ったこともある。これがきっかけとなり、ランナーは芸能活動に傾倒していった。そして、中学三年のとき、学校の友人とバンドを結成した。当時のフェイバリット・アーティストは、No Doubltやアラニス・モリセットだった。
 最終的にランナーは母親に、母親の経営するレストランで歌いたいと訴えた。しかも、彼女の娘であることを隠してだ。それは、母親と比較されることなく、自身の実力を試したかったからだ。そして、Hotel Californiaや、Cross Road(Tracy Chapman)を歌った。彼女は、インターネットやラジオで情報を得ると、CDショップへ行き、片っ端から気に入った音楽を買った。それはEvanessence、Linkin Park、あるいは有名なタイのロック・アーティストであるメーオ・ジラサック、セーク・LOSO、Silly Foolsなどであったが、今でもずっと、心に残っている歌は、叔父チョランの唯一のアルバム『ワン・ウイ、ワン・ワー(希望よ、望みよ)』の収録曲だった。それは、母が歌った楽曲だった。
 2年後、GMM GRAMMY社のスタッフがチャンマイへ出かけ、レストランで歌うランナーの歌を聴き、彼女と話をした。その3ヵ月後、スタッフがデビューの話を持ちかけたのは、ちょうど彼女が留学の準備をしているときだった。ランナーは言う。「自身が歌がうまいとは思っていなかったし、プロの歌手になれるとも思っていなかった。ただ、歌っていると幸福な気持ちになれて、私にとって歌が人生の一部であることだけは間違いはなかった」そして、学業を中断し、歌の練習に専念することを決心した。その後、プロデューサーの“トゥン”ポンテープ・スワンナブンと出会う。
 “トゥン”ポンテープは、ランナーのデビュー・アルバムのプロデューサーだ。曰く、「デモを聴いて、すぐに彼女のプロデュースを決断した。気に入ったのは、個性的でものすごく存在感があり、かつ、型にはかっていないこと。」
 ランナーのキャッチ・コピーは、「新時代のチェンマイの娘」だ。それは、まず、ランナーが生まれ育ったチェンマイという土地が、彼女自身の個性であるということ。また彼女の想いを描き出すことのできる素晴らしい声の持ち主だということを表現している。
 制作スタッフがそんなランナーを見て、まず最初に提案したのは、ポップ・ミュージックにタイ北部固有の文化を織り込むことだった。アレンジには土着の民族楽器を使用し、歌詞には方言を採用した。ランナーは、そんなコンセプトを大いに喜んだ。なぜなら、それは彼女の大好きな言葉であったし、北部の方言は、「甘い」言葉だと言う。そして、アルバム制作スタッフに、ひとりエキスパートが加わった。それは、ランナーの母親で、彼女は多くの北部の民族楽器のミュージシャンを紹介してくれた。
 再度、“トゥン”ポンテープの発言だ。「このアルバム制作は、まさに格闘だった。チェンマイとバンコクを繰り返し何度も何度も往復して、僕自身がチェンマイの文化を探し出し、そしてその美しさを感じた。異なった音楽をMIXして新しいものを生み出し、言葉の魅力を引き出す作業に徹した。各楽曲に”Movement”を持たせるよう努力した。それは、楽器の響きであり、西洋のものとタイ北部独自の楽器とのMIXして、いかに魅力的なものにして、かつ、堅固なものにするかというアレンジ作業だった」
 デビュー・アルバム『LANNA COMMINS』は、2004年6月29日に発売された。まずは、M-1の「サワディー・ジャオ」がラジオでAIR PLAYされ、評判となった。この楽曲は、チェンマイ地方特有の旋律をポップスの重いビートに乗せてアレンジされている。さらに、歌詞には、チェンマイ弁、標準タイ語、さらに英語も加わって無国籍感が強調されたものだった。このアルバムは発売されてすぐに、MTV THAILANDの主催する月間MTV MOTOALERT ARTISTを受賞した。現在、タイのアルバム・チャートを駆け上っている最中だ。

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