J/JETRIN WATTANASIN (ジェー・ジェットリン ワタナシン) |
誕生日:1970年10月28日 身長/体重:182cm、76kg 好きなスポーツ:ジェット・スキー キャリア: TVドラマ: 「クラン・ヌン・キットゥン・サマー(一度、ずっと想っている)」 「ヤーム・ムア・ロム・パット・フアン(元通りの風が吹くとき)」 「ジャオ・ポー・チャム・ペン(男は、なさねばならない)」 「ガオ・モラナ(死の影)」 「ニヤイ・ラック part.2(愛の物語 パート2)」 「ペット・タット・ペット(五部と五部)」 「モラドック・ホック・カネン(相続は評点を転ばす)」 「ナーン・ジョーン(女盗賊)」 CM出演:Brand's, Malee, Mitsubishi, Sunsilk TV番組の司会: 「ハッピー・バード・デイ」 「J Variety」 「J Minute」 「チャップ・ペ・チョン・ゲ(ヤギを捕らえて、羊にぶつかる)」 「スーパー・ゲック」 所属:encore 大きなコンサート: 1991年 リモート・コンサート「トーン・+−×÷・アカーンJ」 1993年 108-1000 ター・パーサーJ・トーン“ユン・ナー(ドゥー)” 1995年 Choola Choola Dance Concert 2001年 The Return Of J Jetrin |
プロフィール |
“J(ジェー)”ことジェットリンは、ティーン・エイジャーにラップを流行させた歌手の一人だ。1991年のデビュー・アルバム『ジョー・エー・ボー』は、ほとんどのアップテンポの楽曲がラップ・ダンスで、楽しいリズムの曲だった。“J”は、ジラユット・ウォンタナシン(ジョー)のたった一人の弟で、兄と同じように音楽に愛情と興味を持っていた。しかし、二人のスタイルと音楽のジャンルは異なり、“J”は友達とバンドを結成した。そして、中学2年生の時から高校3年生のときまで、毎年、校内のポップス・バンドのコンテストに応募した。 それは、彼が本当に音楽に興味を持っていたからだ。兄の“ジョー”が「NUVO」の名前でアルバムを発表する時、“J”はNUVOのデビュー・アルバム『NUVO』(1991年)の頃、メンバーとよく一緒にいて、仕事のそばに接する機会があった。そして、自身のデビュー・アルバム『ジョー・エ・ボ』を発表した。このアルバムは、ティーン・エイジャーに高い評価を得て、当時のタイ音楽界にラップ・ミュージックを伝え、流行を導いた男性の一人に数えられた。彼の次のアルバムは、『108-1009』(1993年)、『Chula Chula』(1995年)、『J-Day』(1998年)と続き、楽しいダンス・ソングとしての存在をずっと堅持した。また、スロー・バラードも秀逸で、ダンスよりも鑑賞を好むリスナーのためにリリースした。 1年以上のインターバルの後、“J”は、アルバム『J-Fight』を発表した。この作品で、彼はコンセプトだてから仕事のプラン、音楽制作、そしてダンスの振り付けまで、ほとんどのパートに自身で関わった。そして、楽曲のテーマや音楽性においてもより発展的になり、ダンスも強固なものとなり、彼自身がより成長した作品となった。 現在、“J”は歌手としてだけではなく、「ENCORE」レーベルのアーティスト・デベロップメントの分野のマネージャーの役割も果たしている。China Dollsのようなレーベル内のアーティストのビジュアル面での面倒も見ている。それだけではなく、“J”は、ミッキーのアルバム『プー・チャイ・カップ・サーイ・ナム(男と水流)』のスタッフとして、楽曲のコンセプトだてもした。「クルン・ジャイ(心半分)」やその他の歌では、ミッキーにガイドの歌を歌ってきかせた。 |