NINA(ニーナー) |
所属:Genie Records |
プロフィール |
Da Jimは、タイ国のヒップホップ史上一番物議を交わしたラッパーだ。彼は最初に父親のビデオ店で仕事をほぼ3年続けた。その後TOWER
RECORDSの店員として転職した。それは、多くの歌が聴けるからだった。すべてのジャンルの歌を聴き、すべての新作を聞いた。それ以外に、歌を書く練習をし、それを書き溜めた。そして、チャンスが来るのを待った。 Da Jimの音楽家としての第一歩は、旧友"DJ Dig-it-all"との出会いだった。彼は小さなスタジオをつくり、話し合い、協力してアルバム制作を始めた。ライムのすべてはDa Jimが書き、一方”DJ Dig-it-al”が音楽プロデューサーだった。最初の作品、『Hip Hop Inder World』は、2000年にを制作して発表された。同時にN.Y.U. Club(New York Underground)会社を設立し、大々的なプロモーションをすることなく、アンダーグラウンドで宣伝した。独自にマーケッティングもして、多くのショップで売った。DJ SYAMやノーン・ター・プラチャンなどが拠点となった。 インディーズでのデビュー・アルバムがリリースされた時、Da Jimは、通常の仕事をやめなければならなかった。それは、より多くの時間を音楽制作に使うためだった。同時に、カオサン通りの店でDJとして新しい仕事が始まった。そしてセカンド・アルバムを制作するための経験を積んだ。2000年に、アルバム『Hip Hop Above The law』はリリースされた。このアルバムでは、言葉の鮮度を生かし、味付けにジョークっぽさを加えた。このアルバムはDa Jimの名前を有名にした。デビュー・アルバムは700枚の初回数から10倍以上のセールスを築き、タイのヒップ・ホップ・ブームの火付け役となった。限りないアイディアに溢れた作品は、人々の口から口へ噂となり、多くの雑誌のコラムなどに取り上げられた。人生を方向転換させたもう1つの原因としては、Da Jimが警察が彼のセカンド・アルバム検閲し、規制したことだった。それは、このアルバムを広めさせた。それから、Genie Recordsと、音楽業界の将来や自身の次の作品について話をする機会を得た。 2002年3月、Da Jimのサード・アルバム『Rap Thai』は、インディーズからGenie Recordsに移籍して、発表されたが、無制限な自由な発想はもとのままであった。うまく業界内に広めるために、刺激を抑えた言葉を使用した。そしてタイの新世代にDa Jimの変化に富んだ作品に接する機会を広めることとなった。 |