AOM SUNISA(オーム・スニサー) |
所属レーベル:More music |
プロフィール |
“オーム”ことスニッサーは、DJ、司会者、女優、そして歌手と多くの顔をもつ女性だ。彼女は高校時代から芸能界で仕事をはじめていた。ボディンタラディーチャ高校1年生の時、学生仲間とキター・レコードのイベントを見に行った。彼女ははつらつとした様子で外交的な女性だった。また、彼女は可愛らしく、大胆で、魅力的だったので、会社は彼女の写真を次のチャンスのために保存することにした。彼女の写真は、次に「ハウ・レック・レック(怖いもの知らず)」というタイトルの映画の撮影のためにティーン・エイジャーの俳優を探していたパンヤー・ニムチャルーンポンの目にとまった。これがきっかけでオームは映画界に進出し、この作品が彼女の処女作となった。 オームは、まさに「怖いもの知らず」の歌声でキティ・ギタープンもゲスト参加して歌をレコーディングした。この「ラック・ルック・ルック(深く愛して)」は彼女の出演した「ハウ・レック・レック」の主題歌になった。これが多くのレコード会社の興味をそそり、彼女をアーティストとして迎え入れた。オームは、キター・レコードと契約することを決心した。この会社は、彼女が業界に入るチャンスを最初に与えた会社だった。それからオームは、歌の勉強をして、呼吸方法の練習をした。彼女は自分を正しく映し出す方法を、ノップ・ソティパン先生から習った。この人は、タイの音楽界でも高い水準のバイオリニストだ。 オームは、デビュー・アルバム『オーム・スニサー(我々はクリスタル)』をリリースした。このアルバムには、しゃがれた歌声にダンスが加わり、楽しいリズムとふざけた歌詞の「ノー・マイ(たけのこ)」や勇気を与える歌「ヤー・ヨーム・ペー(負けないで)」などが収録されている。このアルバムによって彼女はティーン・エイジャーの支持を得た。次に彼女は2ndアルバム『オーム・アーロム・ニヤ(こんな気分のオーム)』をリリースした。1995年には、3rdアルバム『マナット・チャン』をグラミーからリリースした。彼女は少女から粋な女性に変化して映画にも出演した。このアルバムは前2作ほどのずば抜けた成功はしなかったが、歌唱力には大きな発展があった。 彼女が愛している歌手としての役割でがんばるだけではなく、オームは、また、多くの仕事も、音楽に負けないくらいがんばってこなしてきた。DJ(FM93.5 RVS)やサマポン・ピヤポンシリと共演の「プーアン・カップ・ワン・サウ(土曜日は友達といっしょ)」(ch.7で放送していた)、エーム・スリサックと共演の「シー・ヤム・プック(とても仲良し)」というTV番組の司会者などだ。彼女は何をやっても視聴者からすべて暖かく迎え入れられた。 オームはほとんど4年近く、歌手としての仕事から遠ざかった後、1998年、4thアルバム『プレーン・コン・ラオ(私たちの歌)』をリリースした。彼女は歌のスタイルとキャラクターを変えて、女性っぽくなった。このアルバムでの注目曲は、「プレーン・コン・ラオ(私たちの歌)」「ター・ター・コーホック・チャン(もしも私にうそをつくなら)」などのスローな曲で、ファンの好評を得た。その後間髪入れず、『The very Best Aom Sunisa』というベスト盤と、『Exchange1,2』という他のアーティストとのコラボレーション・アルバムを発売した。このアルバムで彼女が歌った曲は、NUVOの古い曲、「ペン・ヤーン・ニー・タンテー・カート・ルーイ(生まれてからずっとこんな風)」やレオ・プットの「ター・カップ・チャン(あなたと私)」などだ。 オームは、はじめは歌手としての顔が、一番目立っていた。次に、彼女は多くの顔をもち、すべての面でよい仕事をするようがんばった。 4年以上も離れた後、オーム・スニッサーはもう一度、歌に世界に戻ってきた。特に彼女の作品を長く待っていたファンは、彼女が歌手として復帰するどうかかわからなかったので、大いに驚いた。 しかし、彼女はMORE MUSICからリリースされたアルバム『SUNISA』とともに戻ってきたのである。アルバム『SUNISA』の中の楽曲は、POP ROCKのジャンルのもので、彼女自身を映し出すことが強調されている。そして現在の“オーム”が考えていること、時間の流れや経験値で変化した生活の中で見えるものを表現した。『SUNISA』は、彼女自身を伝える意思を反映したわかりやすい名前のアルバムだ。 |